第4回おうみ佐保塾公開講座   小笠原好彦 氏

 

 

「天智天皇による大津宮遷都の背景と崇福寺の造営」

 

 

                           

 平成24年5月11日(金)、「第4回お

うみ佐保塾公開講座」を佐保会滋賀支部活動

として、滋賀大学大津サテライトプラザで開

催いたしました。滋賀支部会員に加えて奈良

京都の各支部からも参加いただき、一般市

をふくむ63名が参加されました。

  

以下講師談です。

 

 「七世紀後半の東アジア社会は激動の時期だった。660年、朝鮮半島で百済が唐・新羅によって滅ぼされた。そこで、斉明天皇は百済を再興する兵士を送るため筑紫にでかけたが、朝倉橘広庭宮で没した。中大兄皇子は即位せず天皇になり、飛鳥に斉明天皇を弔う川原寺を造営した。663年、白村江の戦いで、日本・百済軍は唐・新羅軍に惨敗した。その後、唐・新羅軍の進攻を避けるため、667年、飛鳥から大津に遷都した。天智天皇が造営した川原寺には4種の軒丸瓦が葺かれたが、瓦当笵(型)A種は、造営が開始してまもなく山背の木津川河畔の高麗寺(こまでら)に移され、葺かれた。また668年、天智天皇が大津宮の西北山中に造営した崇福寺にも葺かれた。この伽藍の小金堂には阿弥陀仏が安置され、白村江の戦いで戦死した2万数千人の兵士を弔ったものと推測される。また、668年に高句麗も滅亡した。これらのことから、高麗寺(こまでら)は高句麗系の渡来人のために高句麗を弔うために造営した可能性が高い。」・・・

 

 古代史を読み解く一端に触れることができました。

 

 なお、おうみ佐保塾公開講座は、『第5回:平成24年9月20日(木)講演「紫香楽宮と恭仁宮」『第6回:平成24年10月11日(木)現地探訪(紫香楽方面)』を予定しています。 

  

 

(写真)第4回おうみ佐保塾公開講座のようす