第5回おうみ佐保塾 講演会 小笠原好彦 氏

 

 

       「紫香楽宮と恭仁京」 

 

 平成24年9月20日(木)、「第5回おうみ佐保塾講演会 」を佐保会滋賀支部活動として、滋賀大学大津 サテライトプラザで開催いたしました。滋賀県内だけで なく奈良・京都・大阪・福井から67名の方がたにご参加いただきました。

 

以下講師による講演要旨です。

 

 奈良時代のなかごろの天平12年(740)、大宰府管内で藤原広嗣の乱がおこった。その乱が、まだ完全には終わらない10月末、聖武天皇は、突然に東国へ行幸した。しかも、平城宮・京へは戻らずに、山背南端に恭仁宮・京を造営し、遷都した。天平14年には、近江甲賀郡の信楽に紫香楽宮の離宮を造営し、行幸をくりかえした。15年10月には、紫香楽宮の周辺で大仏造立を開始し、行基を中心にすすめた。16年には、恭仁京から難波京へ遷都したが、その直前に聖武天皇は、紫香楽宮に移り、17年(741)に紫香楽宮に遷都した。

 このような、あいつぐ聖武天皇による遷都がどのような意図で行われたかは明らかになっていない。これまでは、広嗣の乱を避けて平城京を離れたとする説が有力視されている。しかし、近年の紫香楽宮・恭仁宮の発掘調査によると、唐の複都制を採用して難波宮・京を再興したが、唐が三都制を採用していた遣唐使の新知見によって、新たに洛陽城を模した恭仁宮・京を造営し、日本も三都制を採用したものと考えるべきである。・・・聖武天皇についての見方が少し変わりました。

 

   

 なお、第6回おうみ佐保塾は、平成24年10月11日

(木)現地探訪として古代の近江・甲賀郡に聖武天皇が造

 営し宮殿や寺院の遺跡を歩く予定です。

 

 

第5回おうみ佐保塾講演会のようす(写真をクリックできます)